「ファラオは身を翻して自分の家に入り、このことに心を向けなかった。」 出エジプト記 7章23節

ファラオは、モーセを通して主が言われた言葉に対して、最初の時には、心を硬くして従いませんでした。14節。
次に、ナイル川の水が血に変わり、エジプト人が水を飲めなくなってしまっても、ファラオは主のことばに従いません。

今度は「自分の家に入り」「このことに心を向けなかった」のです。
自分の家に入りとは、耳を傾けないで、主を拒む姿勢です。
恐れや不安があっても、身を翻して耳をふさいで聞かなかったことにするのです。

このこととは、ナイル川の水が血に変わった出来事のことではなく、主の語られたことばを差します。
それはこの出来事の本当の意味と主のことばを指しています。
心を向けなかったとは、無関心を装い、神様のことばに向き合うことを拒む姿勢です。
こうして、解決しようとしないままファラオは時を過ごします。

主のことばに従うことが嫌なのです。
主を自分の主にして、主を中心にして生きることを拒むのです。
私たちも、主のことばを聞きながら、それに心を向かないで、心を閉ざして過ごすようなことがなかったでしょうか。

主のことばを聞くことは幸いと平安に繋がっているのに、背を向けてしまい心を主に向けないままで過ごすことはなかったでしょうか。
聞くことは、心を向けることであり。
聞きたくないことを聞こうとする、真の勇気ある行動です。
心を向けることは、主とともに生きることです。
そこには幸いと平安があります。

シャローム