「第30年の第4の月の5日、私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。」エゼキエル書 1章1節

預言者エゼキエルに託された神のことばが記されます。
エルサレムがバビロンによって滅ぼされる前後のことがしるされる本書です。イスラエルへの神のさばきが語られた後、諸外国へのさばきについても語られていきます。

第30年と言うのを確定するのは難しいようですが、ヨシヤ王による宗教改革の年から数えて30年ということのようです。
その日、エゼキエルが主によって、預言者として召し出されます。
その時、エゼキエルは、神々しい幻を見たと言います。
この後、その様子、その幻のケルビムらしき姿が記されます。

まさに神々しい、その姿を思い描くのも難しい姿が語られるのです。
4つの生き物、顔と翼がついていることなどが次々と記されます。
その神々しさに、エゼキエルはひれ伏し、語られる声を聞きます。

その姿が意味するものを正確に知ることはできません。
ただ一つ言えることがあります。
私たちの想像など遙かに超えたところに主は存在されており、主から遣わされる御使い、ケルビムも、私たちには思いの届かない姿であり存在です。
それらをすべて治めておられる主が、この時エゼキエルを召します。

そして、私たちも一人ひとりが、この主に召し出されています。
主を信じるようにと召され、主のことばに聞き従うように召されています。
恐ろしい姿、神々しい姿を見ることはなくても、私たちも同じ主にエゼキエルと同じように特別に召されて、今、主を礼拝する者となっていることを喜びたい。

神々しい幻は見なくても、今、それに勝る旧新約聖書を読むことができるのです。

シャローム