「ヘマンとエドトンの手には、ラッパとシンバル、また神の歌に用いる楽器があって、音楽を奏でた。エドトンの子らは門にいた。」歴代誌 第1 16章42節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、歴代誌 第1です。

イスラエルの代々の王の歴史を記す書です。ヘブル語の聖書では書名は「日々の出来事」となっています。
バビロンの捕囚から解放されたイスラエル人、それも主に南ユダ出身の者が読者であったと、考えます。
ユダ族、レビ族、ベニヤミン族について詳しく記されているのに対して、ゼブルン族、ダン族、ナフタリ族についての記述は少ないのです。

1章の初めに系図が細かく記されていますが、そこには意味があります。
捕囚を経験した民が、ダビデ王から始まる系図を記して、自分たちの誇りを取り戻そうというのではないことが、この系図には確かです。
最初の人、神の前に罪を犯したアダムから続く系図を示し。
神から離れていったイシュマエルの系図、エドム人の系図も示します。
自分たちが神の前に何者であるのかを明確に意識させるのです。
その上で、神に愛されていることを覚え、捕囚からの解放という恵みを再び受け取る中で、主を見上げさせるのです。

神殿礼拝、契約の箱について詳しく記すことで、神のことばに従って生きることの大切さをもう一度確認するための書でもあるのです。
選びました箇所は、ダビデが神殿礼拝において、聖歌隊を組織し、レビ人に主をほめたたえさせたことを記す言葉です。
13章からの箇所では、ダビデは20年間、エルサレムからは遠い場所に放置されたままになっていた契約の箱を運び込み、主を礼拝し、賛美したことを記した上で、神殿の建設について記します。
王のことを記しますが、サウル王については詳しく記されません。
それとは別にダビデの妻となっていたサウルの娘のミカルが、ダビデが主をほめたたえて民の前で喜び、歌い踊るのを、王様らしくないと蔑んだことを、罪として記します。15章。
ダビデについても戦いでの勝利などを記していません。
しかし彼に従った勇士たちのことは細かく記します。
勇敢に戦った王の姿ではなく、神をほめたたえる王の姿を示すのです。
イスラエルの王は、誰よりも心とたましいをもって、主なる神さまを賛美し、主のことばに従う信仰者であることを示すのです。
系図や戦いの勝利の記録を誇るのではなく、主を礼拝し賛美することを喜びとしていることを誇れるようにと、本書は訴えるのです。

私たちも今、主イエスを信じて礼拝し、賛美する者であることを喜び誇りたいものです。
日々、私たちも主を歌と楽器をもって賛美していきましょう。
シャローム