「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主を呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えてくださいました。しかし今、私は咽が渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」士師記 15章18節
サムソンがペリシテ人の娘と結婚を望みましたが、結局、その結婚は形ばかりでうまく進みませんでした。
その結果、サムソンとペリシテ人の間には、決定的な対立が生まれるのです。
その戦いもどこか無茶苦茶で、両者ともにその場、その場の感情のままに戦うのです。
これが主が選び出した士師なのかと疑問と批判おの言葉しか浮かびません。
しかし、ここでサムソンは「この大きな救いを与えてくださいました」と、告白しています。
自分の無茶苦茶な行動が、イスラエルの救いに繋がっていることを知っていて、その上、それは主が与えてくださったと告白するのです。
何故、サムソンは、主のあわれみと助けについて分かっているのに、無茶苦茶なことばかりするのでしょう。
サムソンは飢え渇いている人です。
その渇きを潤すために、獅子を引き裂いたり、ペリシテ人の畑を焼いたりするのです。
ここ18節に答えがあります。
「主を呼び求めて言った」
サムソンは飢え渇いています。
しかし、渇きを覚えた時に、主を呼び求めないので、渇きが満たされないのです。
そして次々と無茶苦茶なことばかりするのです。
次の19節を読むと、主はサムソンの呼び求めに、水を与えて満たしてくださっています。
主は、どこまでもあわれみ深くて忍耐を持って私たちを導き、そして用いてくださる。
呼び求めよう。
「主よ。私はひどく渇いています」
大切な祈りです。
シャローム