「しかし、モーセは主の前で言った。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。」」 出エジプト記 6章30節

モーセは、12節でも、自分の言うことをイスラエルの子らも聞かないのだから、どうしてファラオが聞くでしょうかと、訴えています。
しかし、主がモーセに命じるのは、ファラオのところに行って語れなのです。

流ちょうに語るならば、ファラオが聞くのではありません。
ファラオを言い負かすことができる語り方があれば、ファラオは聞くのではないのです。

ここで主がモーセに求めておられるのは、モーセが主のことばに従うかどうかなのです。
エジプトから連れ出してくださるのは主です。
約束の地を与えてくださるのは主です。
モーセの力で得るのではない。
主に従うことで与えられるのです。

口べたでよいのです。主が与えてくださることばを聞いて、そして語るのみです。
相手が、聞くのかどうかを心配したり、計るのではなく。
私が、聞くのです。私が主のことばを聞くことが大切なのです。

聞いているでしょうか。主のことばを、あなたは、聞いているでしょうか。

シャローム