「アロンに言った。「あなたは自分のために、罪のきよめのささげ物として子牛、すなわち若い雄牛を、また全焼のささげ物として雄羊を、それも傷のないものを取って、主の前に献げなさい。」レビ記 9章2節 (2017新改訳)
祭司は、民のためにいけにえを献げます。
民が、聖別されて神に近づくことができるように、また、赦しを得ることができるように。
祭司は、そのために民の代わりとなり代表として、献げるのです。
祭司以外の者が、これをおこなうことはできません。そんなことをしたら、神のさばきを受けることになるのです。
祭司は、主が定められた通りに献げます。
それが祭司の使命です。
ところが、ここに一つ問題があります。
祭司もまた、イスラエルの民の一人、すなわち、神の前の罪人の一人なのです。
祭司もまた、汚れたている「人」に過ぎません。
使命をいただき、祭司として仕えますが、その前に罪人なのです。
それなのでアロンは、その奉仕の勤めをする前に、自分のために罪のきよめのささげ物をしなければならないのです。
自分のために献げなければならないのが、人の祭司です。
例外はないのです。
しかし、イエス・キリストは、完全に罪のない方として、ご自分をいけにえとして献げました。
その違い。
罪人の祭司と、完全に罪のない大祭司であるイエス様との決定的な違いがここにあります。
だから、イエス様はただ一度、十字架につかれただけで、完全な贖いを果たし、汚れをきよくしてくださることができたのです。
シャローム