「このとき、主の霊が激しく彼の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。」士師記 14章6節

サムソンの怪力、主から与えられた特別な力がこの時から発揮されます。
しかし、まだ士師としてイスラエルをさばき、救い出すことに用いられることはありません。
6節には、主が既にサムソンに働きかかけていることを示し、同時にこの頃はペリシテ人がイスラエルを支配していることが示されています。
ペリシテ人を追い払い、主からの約束地を相続したはずのイスラエルは、いつのまにかペリシテ人に支配されてしまっているのです。
それはイスラエル人の罪の結果です。

しかし、主はそこから救いだそうとサムソンを用います。
ただしその始まりは、無茶苦茶な出来事から始まります。

サムソンはここで特別な力を使って獅子を引き裂きます。
主の力を有益に使っているとは思えません。
続いて、19節でも結婚の祝宴で恥をかかされたサムソンはその力を町の住民を打ち殺すという暴挙に使います。
しかし、その時に「主の霊が激しく彼の上に下った」と2箇所とも記すのです。
主のご計画は、サムソンの短絡的な思考と行動さえも用いようとされているのでしょうか。
いずれにしても、ただの怪力で獅子を引き裂き、町を打ったのではないのです。

あわれみ深い主が、意味もなく町の住民を打つことを許されるはずもありません。
彼らに大きな罪があったのかどうかも分かりませんが、主の霊が下ったのでサムソンはその力を用いることができたのです。
それも激しく下ったのです。
この表現は、主がサムソンに強く働きかけて、イスラエルを苦しみから救い出そうとされていることを示します。
主はサムソンをそして私たちを遠隔操作するように用いることはされないのです。そこに主と私たちの祈りの対話があります。

私には怪力はありませんが、主の霊が激しく私の上に下ることがあった時には、祈りつつ、正しく与えられた賜物を用いて行動したいと思います。

シャローム