「それが屠られると、モーセはその血を取り、それをアロンの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指に塗った。」レビ記 8章23節 (2017新改訳)
屠られたいけにえの血を祭司であるアロンに塗ります。
アロンは祭司として、民の代表としてこれをします。
右の耳たぶ。
これは主のことばに聞き従いますという意味を表します。
右手の親指。
これは主に仕えて働きますという意味です。
右足の親指。
これは主のことばに従って歩みとしますという意味です。
きよめられ、主にいけにえをささげた祭司は、民を代表して、主のことばを聞き、主に仕えて行動し、主に従い通して毎日を生きることを、こうして表すのです。
そしてもちろん、これは象徴的なこととして表すだけではありません。
日々の中で、実践するのです。
その証しとして血を塗るのです。
いけにえの命が犠牲としてささげられた結果の血です。それを塗って表しているのです。
このときのイスラエルの民も、現在の新約似時代に生きるキリスト者も同じです。
主のことばを聞き。
主に仕え。
主に従い生きます。
今の私たちは、目に見える形で、この身体に血の赤い色がついている訳ではありません。
しかし主イエスが十字架の上で流された血が、私のために流された赤い血なのです。
見えないけれど、見えるのです。それを信じて、聞き、仕え、生きるのです。
シャローム