「彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。」ローマ人への手紙 4章18節

イエス・キリストを信じる者にとって、アブラハムは、ここに記されるとおり、信仰の父です。
信じることで、神によって義と認められる、すべての罪人の父なのです。

ここに「彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ」とあります。
望み得ないとは、自分の力、努力、経験といったすべてのものを総動員したとしても、そこに問題の解決や事の結実を見出すことができない状況です。
まさに通常の生活では、希望を持つことが不可能だと、誰もが認める状況のことです。
しかし、そのとき、そこにこそ希望を持つことができること。
まさに希望を持てない時にこそ、稀に望みを得る。
それがイエス・キリストに対する信仰です。

イエス・キリストのことばに希望を持ち。
イエス・キリストのことばだけを頼りとして待つ。
アブラハムはそれを実践しました。
私たちの先人、見本となったのです。
ですから、私もできるのです。

望み得ない時にこそ望みを抱けるのがイエス・キリストへの信仰です。

シャローム