「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」 ヤコブへの手紙 4章3節

主は、私たちに主の名によって求めなさいとも教えてくださいました。
求めることが悪いわけではありません。
主は、惜しみなく与えてくださる方です。
私に必要なことを私以上に知っていてくださり、私に豊かに与えようとして備えていてくださる方です。
それでは、得られないのはなぜですか。何故、主が与えてくださるないことがあるのだと、ヤコブは教えるのですか。
ここでは、悪い動機で求めるからだと言います。
それは自分の快楽のために求める動機だからだと言います。

9節になると、嘆き、悲しみ、泣きなさいと教えます。
主が、それを喜びへと変えてくださるから、おおいに嘆き、悲しみ、泣きなさいと教えます。
快楽を求めるとは、嘆き、悲しみ、泣くことを知ろうとしない高慢な心から出ているからです。
主を信じる人は、まず初めに、主が十分に与えてくださることを知っていなければいけません。

与えられることを知っている人は、嘆きの先には喜びが、悲しみの先にも笑いが、涙の跡にも笑い声が響くことを知っているのです。
ですから、求めるべきものを間違えません。
そして、主が最善のものを与えてくださることを知った上で、確信をもって祈り求めるのです。

求めることが許されていることを喜びつつ祈り求める者でいたい。

シャローム