「主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。私の名は不思議という。」」士師記 13章18節

士師サムソンが生まれるまでの出来事を記します。
母となるマノアの妻に主の使いが現われて、イスラエルをペリシテ人の手から救う士師となる男の子を産むことを告のです。
そこから士師サムソンの物語が始まります。
自由奔放で大きな失敗を繰り返す、とても士師だの勇士だとは思えないサムソンの誕生です。

18節は、主の使いをそうと知らないで名前を尋ねる夫マノアに答えたことばです。
「不思議」とはイザヤ書9章6節で誕生するメシアの名前として紹介される「不思議な助言者」で使われる不思議と同じ単語です。
マノアは主の使いの素性を知りたいし、これから自分たち夫婦とイスラエルに何が起きるのかを知りたいと思って尋ねたのです。
しかし、それを知ることはできません。
この時、ペリシテ人に苦しめられているイスラエルを、主が救ってくださるのか、さばきは続くのか、自分たち夫婦に産まれると言う男の子は何をするのか。
尋ねたいことは山ほどありますが、知り得ることは少ないのです。
いえ、教えられたとしても理解するのは難しいのです。

主のなさることは不思議なのです。
さばきのなかにある人々を主は救われるのか、どうなのか。
すべては不思議。
主の恵みとあわれみはとても大きく広いのですが、その業は不思議なのです。
不思議な主の業は、しかし、恵みなのです。
不思議を不思議なまま待ち望みたいのです。期待して信じて。

シャローム