「しかし、ヨシヤは身を引かず、かえって彼と戦おうとして変装し、神の御口から出たネコのことばを聞かなかった。そして、メギドの平地で戦うために出かけた。」歴代誌 第2 35章22節 (2017新改訳)
ヨシヤ王は、これまでイスラエルで献げられたことがないほど立派な過ぎ越しのいけにえを献げました。
王の命令で祭司、レビ人は揃って協力してこの奉仕に当たったのです。
その素晴らしいいけにえを献げて宮が整えられた後、エジプトの王ネコが戦いのために上って来たのです。
ヨシヤはネコと戦うために出陣します。
しかし、ネコはヨシヤ王と闘い、ユダを攻めるために上って来たのではないと告げます。
そしてこのことは神から出たことなのだと告げるのです。
しかしヨシヤは、戦いを止めようとはいませんでした。
その結果、ヨシヤは命を落とすことになります。
何故、ヨシヤはネコのことばを聞かなかったのでしょう。
素晴らしいいけにえを献げた直後に、主のみ心に背くようなことをしたのでしょう。
それまでの王にはいなかったほどに主の言葉に従ったヨシヤが、何故、最後に主のことばを聞くことができなかったのでしょうか。
ヨシヤ王の、驕り、高ぶりなのでしょうか。
人が、途中で身を引くと言うことは難しいことなのでしょうか。
何故、変装までして戦いに出ていったのでしょうか。自分の力を誇りたかったのか、試したかったのでしょうか。
素晴らしいヨシヤ王でも失敗するのです。
何故なのか、その答えは記されていません。
ただ聖書は「身を引かなかった」ことと「神も御口から出たネコのことばを聞かなかった」と、だけ教えてくれます。
私たちは、主のことばを、聞いているようで聞いていない時があるのだということを気をつけたい。
素直に、そしてへりくだって主のことばを待つことをいつでもできるようにしたいと、強く思わされるのです。
シャローム