「同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだようなものです。」 ヤコブへの手紙 2章17節
ヤコブの語る2章は驚く言葉が続きます。
一読すると、行いがなければ救われないと語っているのかと思われるからです。
しかしそうではありません。
信仰によって、即ち、イエス様は救い主であると信じることでのみ、私の罪が赦されて義とされるのは確かです。
その点もヤコブは変わりません。揺るがないのです。
しかし心で信じているのだと、口で語ることはあっても、その人の行動に信仰が現われてこないなら、それは死んでしまった信仰です。
もはや信仰とは呼べないのです。
行いをしなければ救われないのではありません。
信仰はその人の生き方、日々に現われるのです。
信じた人の内側に住んでくださる助け主である御霊の実が結実していくからです。
ヤコブが2章の前半で細かく上げたのは「例」ではなく、実際に教会で起きていたことなのです。
ヤコブはそこに愛がないことを見て、嘆いて、このような過激な表現を繰り返したのです。
ヤコブの嘆きは、イエス様の嘆きです。
生きた信仰を歩む私たちでいましょう。
シャローム