「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。」 ヤコブへの手紙 1章14節

今日からヤコブの手紙を読みます。
主イエスの地上での家族、兄弟のヤコブが著者です。
主イエスが、十字架の死からよみがえられた後に、ヤコブはイエスのことを救い主と信じたのです。
ヤコブは、各地を巡ったパウロたちとは違って、エルサレムに留まって、主の弟子としての働きを果たしていました。
そして、試練の中にある教会の兄姉を励ましたのです。

私たちの神、主は完全なる義の方であり、愛の方です。
それはこの方が、何者か、何物に誘惑されることがないことを示します。
同時に、この方が我々を誘惑して、罪を犯させることはありません。

ここで教えているのは、誘惑とは、私の中に在る欲こそがその原因だということです。
不正に手に入れることが間違っていると知っていても、求めてしまうのは、誘惑されるからではなく、私がどうしても手に入れたい、欲しい言う罪の心があるからなのです。
ではどうしましょう。
主は、私たちを試練に会わせられます。それはしかし、絶え抜くことができる脱出の道のある
試練です。
その試練に耐えることができるなら、私の内側にある欲をも制御できるはずです。
なによりも、主は私の必要を知っていてくださるのですから、私が欲に引かれるのではなく、主の導きを求めるなら、私は満たされることを経験するのです。

信仰の日々に試練はあります。けれどもそれは主が私を愛して、私を更に祝福して成長させるために与えるのです。
反対に、自分の欲を満たしてもその先に成長はありません。喜びがないと言うことです。

シャローム