「モーセは、すべて主が彼に命じられたとおりに行い、そのようにした。」出エジプト記 40章16節 (2017新改訳)
第一の月の1日に、幕屋を設営するように主に命じられます。
設営の手順、祭司の奉仕が主に命じられるのです。
ここ16節から先に、7回、合計で8回「主が命じられたとおり」との表現が繰り返されます。
主を信じ、主を礼拝するときには、私たちが。熱心でありさえすれば良いと言うものではありません。
すべて主が命じられたとおりにおこなうことを通して、主の臨在を感じ、主と親しく交わるという特別な経験をして、礼拝をささげるのです。
このとき、荒野の旅の途上にあった民と、主はいつもいてくださいました。
宿営した場所から旅立つときも、主の雲が幕屋から上ることで、その時を教えていただくのです。
旅の始めから終わりまで、いつも主が共にいてくださいます。
そのことを知るのには、主に従い、主の命じられたとおりに行うのです。
主のことばに従順に行えるのかどうかが、礼拝をするその時から問われるのです。
主の命じたとおりに行うのは、主が私に益となるように備えていてくださることなのです。
私たちは、それを行うことで受け取ります。
主の栄光を見ているでしょうか。
主から恵みを受け取っているでしょうか。
もし、それがまったくないと言うのであれば、それは私が主に背を向け、主の命じたことを行うことを拒んできたからではないかったでしょうか。
主の命じたとおりに行ったことが、このときのモーセのように本当にあったでしょうか。
今朝、もう一度自分と主の関係を思い返したい。
主は、私にいつもあわれみ深く、恵みを豊かに注ごうとされる方。
私は受け取る者です。
シャローム
シティリジョイスチャーチ 榊原康成
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