「しかし、あなたがたは今日、私の父の家に背いて立ち上がり、その息子たち七十人を一つの石の上で殺し、また、あなたがたの身内の者だからというので、女奴隷の子アビメレクをシェケムの住民たちの上に王として立てた。」士師記 9章18節

エルバアル、すなわちギデオンが死んだ時、アビメレクは言葉巧みに人々に語りかけて、自分を王にするように働きかけるのです。
そして、エルバアルの子ら70人を殺して、王になります。
しかし、それは主に喜ばれることではありませんでした。

イスラエルを導き、助ける指導者は主が召し、その召しに祈りをもって答えた者が任命されて、その働きを果たすのです。
自分の欲望を満たすために王になろうとする者、ましてや、それを実現するために人を殺し、罪をおこなう者が、王にとどまることはないのです。できません。

王が選ばれていくときには、祈りがささげられ、祈りが重ねられていかなければならないのです。
ここでは誰も祈りません。
それは主に信頼し、主に期待していないことを示します。
罪を重ねる者は祈らないのです。そしてさばきを招き入れます。

私たちは、何をするにも祈りと賛美をいつも主にささげて行動したい。
大切な答えは祈りの途上にあります。

シャローム