「彼らは聖なるもののきよめの規定どおりにいたしませんでしたが、心を定めて神を、彼らの父祖の神。主を求めています。」歴代誌 第2 30章19節 (2017新改訳)

ヒゼキヤ王は、全土に使者を送り、主にいけにえを献げるためにエルサレムに集うように呼びかけます。
多くの人が、その呼びかけに応じて集います。
父たちの罪を悔い改めて、主に献げるために集ったのです。一部の人は嘲って集おうとはしませんでした。
しかし、多くの民が集い、エルサレムにあった偶像の祭壇を取り除き、主にだけ仕えることを告白して、献げたのです。

そのような中ですが、身をきよめずに、しかも律法に記されているのとは違う方法で過ぎ越しのいけにえを食べてしまったのです。
それなので、ヒゼキヤは彼らのために執り成しの祈りをささげるのです。
すると、続く20節で、主はヒゼキヤの願いを聞き、彼らを赦してくださるのです。

主は、完全な義の方です。しかし完全な愛の方でもあります。
信じる者の、執り成しの祈りを聞いて、答えてくださる方です。
彼らの心が、確かにヒゼキヤの祈る通りに、主に向かっており、主を求めていることを見てくださる。
形ではなく、ここでは心を見てくださったのです。

主イエスが、宣教の働きをされていた時、形ばかりを取り繕う当時の祭司、律法学者たちの信仰を嘆かれたのとは、全く逆です。
先祖の罪を悔い改めて、主を求める者を、主は愛して癒し、守ってくださる。
主は、いつも私の心を見張ってくださるのです。
私が、祈りの言葉を口にする前から主は知っていてくださって、その心に応じて祝福を与えてくださるのです。

何をしていても、何をしたとしても、私の心がいつも真っ直ぐに主に向き、主を求める心で夕から朝へと生きたいものです。
心を定め、迷い揺れ動くことなく、主だけを愛して。
シャローム