「彼らはそれらをエポデの肩当てに付け、イスラエルの息子たちが覚えられるたあめの石とした。主がモーセに命じられたとおりである。」出エジプト記 39章7節 (2017新改訳)

28章で示された祭司の装束が実際に作られます。
宝石をふんだんに用い、金の糸を作って柄を織り込むなど、豪華な装束という印象がありますが、祭司の権威を高めるために豪華にしているのではありません。

肩には、12部族の名前が彫られた印章が取り付けられます。
両肩に6部族づつであったと言われます。
主に、12部族、イスラエルの息子たちの名前を覚えていただくためです。
肩に取り付けるのは、祭司が12部族の名前を、そして民全体を、その肩に担い、責任をもって儀式に当たることを示します。
責任の重さと、誰一人として主の覚えていただかなければ、聖なる主に近づくことはできないということを示します。

同じように、この後は12の宝石を使って、胸当てを作ります。
12部族を象徴的に示します。
使われる宝石はエゼキエル書、28章12節からの箇所に、エデンの園にあったと歌われる宝石の名前と一致します。
アダムが罪を犯す前に、主に愛されて置かれていたエデンの園を、これらの宝石は思い起こさせます。
宝石を見るときに、イスラエルの息子たち12部族が、自分たちの罪を意識し、その罪を赦すことができる聖なる主を覚えるために、これらの宝石を用いたのでしょう。
これもまた、高価なのものだから宝石を特別に使って、祭司の権威付けをしようというのではありません。

すべて主のあわれみを、私たちが覚え、主に忘れられていないことを感謝するための装束、装飾でしょう。
そしてもう一つ大切なことは、それは主が命じられてこの装束が作られたと言うことです。
その装飾の意味も、すべては人が考え出したのではなく、主が与えてくださったもの。
主からの示唆であったのです。
それをすべて主の命じるままに作ることに、信仰の応答、従順があります。
シャローム