「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」 ヘブル人への手紙 12章11節
5〜11節まで、信仰における主の試練について記されます。
血を流して抵抗するのは、外からの誘惑だけではなく、私の内にある迷いや不信仰といったものに対してです。
主を信じたのですから、その後は自動的に平安と喜び楽しみの続く日々が与えられたのであれば、よいのにと私たちは思ってしまいます。
それなのに信じた後の日々にも、病や生活や仕事のおいての大変なことが起きます。
それは私の信仰の戦いとなります。
しかし、苦しいと思われるものが、主が私を、主に似せた者にするために訓練をさせているのであれば、そこには必ず意味があり、価値があり、私を主の目に良いものへと変えてくれます。
喜ばしくないこと、苦しいことがなに一つないまま、主と再会することが幸いではないのです。
主イエスも苦しまれ、悲しみもだえる祈りを献げて救いの業を完成されました。
私たちは、主イエスに倣う者なのですから、試練を通って実を結びましょう。
実を結ばない信仰は、生ぬるい日々を過ごしているということです。
真の喜びは、主の訓練を通り、試練によって練り上げられて、イエス様に近づいていく中で味わうのです。
シャローム