「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。」ペテロの手紙 第1 4章16節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ペテロの手紙 第1です。
この手紙を書いたのは、使徒ペテロです。
イエス様の一番近くにいて、一緒に町や村を巡り、大切な神の国の話を聞き、復活されたイエス様から「わたしの子羊を飼いなさい」との命令を受けた、あのペテロです。
彼は晩年をローマでの宣教の働きに就いており、そこで皇帝ネロの迫害にあって殉教したと伝えられています。
この手紙は、既に迫害も始まり苦難の中にいたキリスト者を励ますものです。
試練に会うのは、私たちを鉄を精練して良いものにするため、あるいは、金から不純物を取り除いてより価値のある純金とするためなのだと、ペテロは教えます。
試練、苦難を経験すると、私たちは自分の犯した罪のさばきを受けているように感じたりします。
あるいは、不信仰な心があるから、さばきを受け、苦難を通るのだと、悲しみ、打たれて立ち上がれなくなってしみます。
しかし、そうではない。
神は愛するからこそ、試練を与える。
イエス様こそが、私たちのために身代わりの苦しみを受けてくださったのです。
苦難の時は、イエス様の苦難を思い、同じように苦難に会っているのだと受け止めるのです。
それは歓喜に溢れるようになるからです。
苦しみを受けることを恥じるなと、聖書は教えます。
すべてのわざわいに遭わないことだけが幸いなのではないと、聖書は教えます。
それを受け止めるのは、なかなか難しいことです。
苦しみを恥じないと言うことを教えてくれるのは聖書だけです。
しかし、ペテロが立ち直り、立ち上がってように、私たちもなれるのです。
地上での悲しみ、苦しみで終わりではないのです。かの日の歓喜を確信して忍耐したいものです。
シャローム