「手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。」出エジプト記 36章7節 (2017新改訳)

聖所を造るために民は、何度も献げ、あり余るほど、持って来ました。
その量があまりに多いので、製作に関わっていた者が、それを受け取る作業に時間を取られてしまうので困り、作業を中断してモーセのところに、民がもう持ってこないようにと訴えるほどでした。
知恵を与えられて、制作に直接携わっている者も、献げる人たちも、みな、心から喜びと感謝をもっておこなっていたのです。
私たちの献げるもの、献金と奉仕はこのように一人一人の心から湧き出てくるものでありたい。

さて、ここに幕屋を造るための材料は、既に十分に整い、いえそれ以上に集まり、あり余るほどであったと、あります。
二つのことを教えられました。

献げた民の心が本当に豊かであり、それがたくさんの献げ物に現れたのだということ。
彼らの献げる心が本物であり、惜しまなかったことが分かります。
私たちも、神に献げるときは、同じ心でしたいものです。

もう一つは、主の与えてくださる恵みは、これほどに豊かで惜しみなく注がれるものだということです。
ここは荒野、旅の途上です。
エジプトを出発したときに受け取った贈り物と、旅の中で得た物が、彼らの所有物のすべてです。
それがあり余るほど献げられたということは、そんなにも多くの恵みを先に主からいただいていたという事実です。
主は、どのようなときにでも、私たちに惜しみなく恵みを与えてくださる。
私たちが、献げたいと願うときに、十分に献げることができる恵みを主は与えてくださるのです。
私が、それを信じて献げるかどうかが問われるのです。

礼拝の日曜日です。
惜しみなく、喜んで私のすべてをもって礼拝を献げたい。
シャローム