「人々はアカンの上に石くれの大きな山を積み上げた。今日もそのままである。主は燃える怒りを収められた。それで、その場所の名はアコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。」ヨシュア記 7章26節

エリコの町の攻略は、主の助けと導きにより成功し、その時、ラハブという主を信じる女性も現われ、民に与えられたのです。
祝福と喜びの時のはずでした。
しかし、ひとりアカンが、主が聖絶せよと命じた物の中から自分の物にしようと取ったのです。
その罪は、当然、主に暴かれ、アカンの罪は明らかにされて、彼は打たれます。

谷底へと落とされて、そこに石を積み上げられるのです。
大きな山となった石の山は、アカンの罪の大きさを示します。
そして、それは聖絶の物を盗まなくても、私たちの中にある罪の大きさを教えるものとなりました。

今日もそのままとは、私たちが自分の罪の大きさを決して忘れることがないようにという戒めです。
しかし、主はあわれみ深いのです。
怒りを収められて、やがて罪深い場所は、罪が赦されることを示す場所へと変わるのです。

罪の大きさを示す高い、高い山は、そのまま主のあわれみの大きさを示します。
そして、この大きな罪をきよめるために、神ご自身が地上にと来られたのです。
私の罪の大きさを意識してしっかりと認めることが、主による罪の赦しの始まりです。

罪を赦され、愛されている者として、感謝と喜びの歩を始める2024年としましょう。
主の愛とあわれみは変わることがありません。今日も。

シャローム