「私たちは、父祖たちがみなそうであったように、あなたの前では寄留者であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。」歴代誌 第1 29章15節 (2017新改訳)
ダビデの王としての最後の務めは、ソロモンに託す主の宮の建築を、民とともに心からすることです。
ここでダビデは、自ら進んで多くの金銀などの献げ物を、神殿建築のためにすることを喜びます。
そして献げることができるのも、すべて主から出た物を、自分たちが受け取り献げたのだと、感謝を持って告白します。
そして次に、自分たちが寄留者、居留する者であることを告白します。
この地上での生活は、寄留者でるから、仮のものであって空しいと言うのではありません。
すべては主によって与えられて、主から出ていることを告白するのです。
それはいつの日か、寄留者ではなく、主とともに生きる時と場所が備えられていることを告白するものです。
望みがないと言うのは、この地上での自分の栄誉や富を求めることは、真の希望ではなく、目的でもないと言う意味です。
主を求め、主に満たされ。
主とともに生き。
主に栄光を帰すことが地上での目的です。
金銀だけではなく、賛美も献げることができるのも喜びです。
その賛美も含めて、すべてこの手と唇から献げることができるのも、主が与え満たしてくださっているからです。
寄留者であることは、主の元から出て、主の元へ帰る者だということです。
その主を知って、歩める地上の日々を喜びたいと思います。真の望みに向かって歩む日々ですから。
シャローム