「それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚した。あなたがたは、それぞれ、いったん彼らの望むとおりに自由の身にした奴隷や女奴隷を連れ戻し、強制的に彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷の身分に服させた。」」エレミヤ書 34章16節
エルサレムがバビロン軍に包囲されるという危機の中で、ゼデキヤ王は、同じヘブル人の奴隷と女奴隷の解放をおこないました。
主からエレミヤに、同胞ユダヤ人を奴隷にはしないということばがあったからです。
元々、同胞ヘブル人の奴隷と女奴隷は、律法(申命記15章12節)によって、七年目には奴隷から解放されることが定められていたのです。
ゼデキヤは、都の陥落という聞きを前にして、律法を守る姿を見せて、主の助けを願ったのでしょう。
しかし、すぐにゼデキヤと民は彼らを再び奴隷として使役したのです。
このことは前よりも悪いことでした。
主は「心を翻して、わたしの名を汚した」と、断じます。
律法を守っているように見せかけて、同胞を苦しめたのは、彼らを裏切っただけでは終わらないのです。
心を翻したとは、主を裏切ったことを言います。
主以外のものを一番として、主に背いたのです。
心を翻すとは、律法を破ったと言うこと。
約束を破った王たちには、主も恵みの契約を破棄して、この後、バビロンに王たちを引き渡すのです。
心を翻すのは、主の恵みを捨てて、悪をおこなうことであり、主の名を汚す、もっとも大きな罪です。
心を尽くして主を愛す。律法を守ることもまた、心を尽くして主を愛することに繋がっているのです。
シャローム