「ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。」 創世記32章24節
兄エサウとの再会の時が近づいた時、ヤコブの心には恐れがありました。
この旅、叔父ラバンお家への寄留は、兄に憎まれたことが原因でした。
この日まで、特に和解のためになにもしていないのです。してこなかったのです。
ヤコブはただ、主の「帰りなさい」とのことばを受け取って旅立ってきたのです。
主のことばを信じているはずですが、恐れと不安はなくならないのです。
ヤコブは彼らしく、策を図ります。
兄に使いを送りその後で自分たちは行くのです。
それでも迎えに出て来た兄を、討伐のために来るのかも知れないと恐れてしまいます。
さらに、家族と群れを分けて、安全策を取ります。
そして、自分は後からついて行くのです。
自分だけが助かろうというのではなく、一番最初に自分を見た兄が群れの全体に敵意を持たないようにと考えたのだと思われます。
しかし、恐れと不安はなくなりません。
後に残ったヤコブは、そこに現われた「人」神、主と格闘します。
これは祈りの格闘です。
ヤコブは色々と策を図り、色々と準備しました。
しかし最後は祈りなのです。
それも祈りに祈るという必死の祈り。祈りの戦いです。
私が、必死に祈る時には、主も全力の愛と力で答えてくださる。
そこには恐れや不安はなく、主への信頼と期待、安心が生まれます。
策を準備する前に祈ります。
祈りに祈ります。明確で単純です。
色々と策を考えたり、様々な準備をするより、まず祈るのです。
そして最後に祈るのです。
それが最高にして最善の策です。
夜明けまで、不安がなくなるまで格闘し祈るのです。
シャローム