「わたしは、私の民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。」出エジプト記 8章23節 (2017新改訳)

蛙による災い、ブヨによる災い、続いてアブによる災いが主の命令によってエジプトで引き起こされます。
ブヨによる災いになると、エジプトの呪法師たちには同じことを真似することができなくなります。
呪法師たちは、ついにこのことが神によるものだと認めますが、ファラオは聞き入れません。

主は、エジプトの民と主の民、イスラエルとを明確に区別されます。
なんと、アブはイスラエル人の家とイスラエル人の住む地には被害を及ぼさないのです。
自然に起きる災害ではないことが、これによってさらに明らかになります。

しかし大切なことは、イスラエル人に被害がないことではなく、両者が分けられていることです。
真の神の前には、信じる者なのか、そうではない者なのかが明確に分けられます。
真の神は、あわれみ深い方なので、罪人の一人でも滅びることを望まれません。罪人が罪を認めて悔い改め、救われることを喜ばれます。
しかし私たちは、真の神の前に、信じるのか、信じないのかをハッキリと問われる時が来ます。
どちらでもないという訳にはいかない時が来るのです。

差別するのではなく、区別されるのです。
曖昧なままにはできないのです。
主は私を愛してくださっています。それは確かなことであり、変わることがありません。
ですから、私たちも信じるのか、そうではないのか、態度が求められます。
明確で深い愛に対して、明確に答えることは誠実な生き方です。

主は、ここで明確に起きると、語られました。
主のことばは、このように確かに実現するのです。
シャローム