「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」テモテへの手紙 第2 3章16節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、テモテへの手紙 第2です。
著者はもちろんパウロです。この手紙と第1の手紙の間に、テトスへの手紙が書かれました。
そして、この第2の手紙を書いた時には、パウロは再び捕えられて、ローマの獄中にいました。
パウロは、自分の死期が近いこと、即ち、殉教の時が近づいていることを知り、覚悟を決めています。
4章6節「私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。」と、覚悟を記しています。
第1の手紙との違いは、この第2は、教会宛てと言うよりは、テモテへの私信という内容です。
そこには教会の牧会者としての教えを記すものです。
ローマ皇帝によるキリスト教の迫害が始まっていて、それでパウロもまた捕えられたのです。
そんな状況下で、どちらかと言えば、気弱なテモテを励ますのです。
そしてこれがパウロからテモテへの手紙であると言う、個人的な部分があり。
同時に神さまから私たちへの神のことばであると言う二面があります。
パウロは、獄中で孤独であり、冬を越すために、外套を持って来て欲しいと書きます。
しかし、一方ではこの選びました16節の通りに、神のことば、聖書のことば、イエス・キリストの福音について、とても大切なことを書いているのです。
神、主は私たちに語りかけてくださる時に、このように血の通った文章、ことばを用いてくださるのです。
そして、そのことばはすべて私たちにとって、有益なものなのです。
神の霊である聖霊が働かれている中で、パウロは個人的な願いも書き、福音の本質についても記します。
それは私たちの普段の個人的な生活の中に、主のことばは注がれて、私たちはそれを受け取ることは有益だと、教えてくださるのです。
すべて!
有益!
シャローム