「六男アンミエル、七男イッサカル、八男ペウレタイ。神が彼を祝福されたからである。」歴代誌 第1 26章5節 (2017新改訳)
今度は、門衛の組み分けです。
ここで言う祝福されたとは、父オベデ・エドムが、神の箱を守ったことを主が祝福された時のことを言うのでしょう。13章13,14節。
一度目に神の箱を運ぶ時に失敗をし、オベデ・エドムの家に預けられた箱を彼らが正しく守ったことで主が祝福を与えました。
それをここでもう一度、示すのです。
12節には「全く同じように割り当てられた」とのことばもあります。
賛美する歌歌いが、組み分けられたのと同じに割り当てられたと言うことです。
即ち、それは賛美をする奉仕者と門衛、更には国境を守って行く勇士たちもみなが、神の前に相応しく分けられたのであり。
その奉仕の内容は違っても、それぞれが神の前に大切で価値のある奉仕だということです。
現代の教会においても、奏楽、受付、交わり、準備といった奉仕があり、それは教会の活動を支え、礼拝を支えます。
また、それぞれ社会の現場に遣わされていきます。そこでの働き、生活がそのまま大切な証しの奉仕です。
その奉仕は、みな主に仕える大切な奉仕だと言うことです。
そして任された奉仕を忠実に心からする時に、主が祝福をされるのです。
そしてその人の名前は、こうして主に覚えられ、刻まれているのです。
ここにも、人からの栄誉ではなく、神さまからの祝福を受け取ることが私たちの喜びであることが示されています。
「神が彼を祝福されたからである」と、言っていただけるように今日も、主に誠実に仕えたいものです。
一人一人遣わされて、今日も主に期待して歩みたい。
シャローム