「しかし、エジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。」出エジプト記 7章22節 (2017新改訳)
モーセとアロンは、ファラオのところに行き、主がファラオに告げるように命じたことを、すべて伝えます。
しかしファラオは言うことを聞きません。
モーセは主の命じる通りに、初め、杖を蛇に変えます。
二度目には、ナイル川の水をすべて血に変えます。水は飲めなくなるのです。
しかし呪法師たちも秘術を使って、同じこと、いえ同じように見えることを行います。
神がされる不思議な業を真似をするのです。
それは神に背き、自分が神の力に対抗できると過信し高慢になっているおこないです。
頑なな心が、主のことばを聞くことを拒み、主に従うことを拒むのです。
人は、美しい景色、例えば夕日の映える景色を見ると、美しいと感じて、それを絵画にして描き残してみたいと思います。
美しさに触れた心がするおこないは、神の業をなぞるようなことです。
そこには尊敬と畏れ、喜びがあります。
そのおこないは正しい心からのおこないです。
しかし人は、夕日そのものを造り出すことはできません。そこに主への畏れと従順があります。
それを知っていなければならないのです。
この時のファラオと呪法師にはそれがありません。
同じこと(同じように見える)ができると高ぶるのです。
ファラオは自分が神にもなれる、神よりも優れていると考えているのかもしれません。
頑なな心は、そこにある本当に大切なものを見逃し、受け入れることができません。
無から有を造り出すことができる全能の私たちの主と、有から有を作る人とは絶対に超えること、変わることができない違いがあるのです。
主への畏れ、敬意を持って素直に聞くことを学びたい。
頑なな心は良いものを生み出さず、幸いと平安を得ることはないのです。
シャローム