「主はモーセに言われた。「あなたには、わたしがファラオにしようとしていることが今に分かる。彼は強いられてこの民を去らせ、強いられてこの民を自分の国から追いだすからだ。」」出エジプト記 6章1節 (2017新改訳)
モーセ12節、30節で繰り返して自分は口べたであり、ファラオは自分の言うことを聞かないと、訴えるのです。
ミデヤンの荒野で、主の召し出された時からこれまで、何度、モーセはこの言い訳をしてきたことでしょうか。
確かにこの日まで、モーセの語ることにファラオは耳を貸しません。モーセが言うことなどファラオはまったく聞いてくれないのです。
しかしそのことは主に最初から示されていたことです。
私たちは、しなければならない働きや学びなどがうまく進まない時には、言い訳を探します。
繰り返して自分の弱さを訴えようとします。
自分の弱さ、足り無さが有りますから、止むを得ないことです。けれども、それで終わっていてはいけないのです。
主のご計画があります。
主が私に立てられた計画があり、私が関係する人々への主の計画があります。
そして主の計画は、主のあわれみと恵みの中で、成し遂げられていきます。
「今に分かる」と、主は言われます。
主の計画が、どのように進み、どのような結果へと結ばれて行くのかを、私たちは知りません。
しかし、分かる時が有ります。
それは恵みの時になります。
頑ななファラオではなく、口べたですとばかり訴えるモーセではなく。
主に信頼し、主に期待する信仰者として待ちたい。
主が言われる「今」を楽しみにして、主のことばに従っていきたい。
雄弁でなくても、主のことばを聞き漏らさず、従順に従うものでいたいのです。
期待して、主の今を、待ちたい。
シャローム