「イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 マルコの福音書 1章38節
引き続き1章からです。
一昨日は、祈りイエスさまの姿を見ました。
今朝は、出て行かれるイエスさまの姿です。
弟子たちがイエスさまに「皆があなたを捜しています」と、伝えた時に答えられたのが38節のことばです。
これは弟子のことばへの返事ですが、ここに神さまの愛が現されています。
私たちが信じる神さまは、能動的で積極的に愛を表してくださる方です。
動かれる神さま、と言えます。
この時、イエスさまがおられた町の人々は、イエスさまの評判を聞きつけ、或いは、目撃してイエスさまからお話を聞きたいと願い、捜していたのです。
しかし、イエスさまは、そこでの活動には一旦区切りをつけて、次の町や村へ足を運ばれます。
イエスさまの方から向われるのです。
そして奇蹟で病を癒すことよりも、最も人に必要な福音を伝えるために動かれます。
何のために、どこへ向われるのかという大切なことを教えてくださることばです。
同時に「そのために、わたしは出て来たのだから」ということばは大切です。
神さまが、私たちのために出て来てくださったのです。それは愛の行動です。
神さまが出て来てくださったので、私は神様を知ることができました。
もし、私の方から神さまを捜し始めることができたとしても、私には本当の神さまを見出すことはできないでしょう。
罪の中にいた私には神さまを正しく捜すことなどできないからです。
しかし、神さまが捜しに来てくださいました。それも次々と町や村を訪ね歩いてくださったのです。
本当にあがめられるべき神さまは、鎮座する刻まれた像で表される神さまではなく、愛して動いてくださる神さまです。
私のために動いてくださる方です。
シャローム