「ヨセフの一族もまた、ベテルに上って行った。主は彼らとともにおられた。」 士師記 1章22節

今日から「士師記」を読みます。
約束の地であるカナンに入って相続地を得たイスラエルの民の姿を記したのがヨシュア記でした。
ヨシュア記に続く士師記は、ヨシュアが語った通りに、民が直ぐに主を捨てて偶像礼拝と罪を重ねる姿を記します。
祝福と罪、堕落、そして主への叫びと主による回復と救い、しかし祝福を得るとまた罪をおこなう民の姿があるのです。
この悲しい繰り返しが士師記弐波、強く現われています。
そこに12人の「さばきつかさ」と呼ばれる人が主によって立てられていく姿をあります。

1章と2章は士師記の序論のような形です。士師記の時代の民の様子を記します。
カナンに入り、各地を占領するように主に命じられて出て行くのです。
しかし、3節を読むと、ユダ族が戦い前にしてシメオン族に援助を求める姿があります。
戦いを前に、主に信頼して期待するのではなく、兄弟を頼る臆病とも取れるユダの姿があります。
またここ22節には、約束を変えることなく、主がともにいてくださることを明確に記します。
その一方、前の21節には「エブス人は今日までベニヤミン族とともにエルサレムに住んでいる」と、あります。
完全にこの地の人を追い払うことができず、主の命令に徹底して従えなかった民の弱さが記されているのです。
この追い払われなかった人たちが、イスラエルの子らに偶像礼拝の誘惑を残し、彼らに罪を犯させる一つの原因にもなるのです。

約束を変えず、最初から最後までともにいて祝福してくださる主と。
主のことばを聞いて、従い通すことができない私たちの弱さが現われています。
この弱さを知った上で、なお、私たちは素直に日々、主のことばを求めたい。

シャローム