「全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」 創世記43章 14節
ユダに説得された父イスラエルが、ベニヤミンを連れて兄弟たちが、もう一度エジプトへ穀物を買いに行く前に告げた言葉です。
人質になっているシメオンのことは「もう一人の兄弟」と表現して、末の息子のことはベニヤミンと語るところにイスラエルの息子への偏った愛情が見えます。
それでも一族の生活のことを考えて、ベニヤミンを連れて、再びエジプトへ行くことを認めた父です。
全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるようにとの言葉には、すべてのことを神に委ねて、見守ろうという父イスラエルの覚悟、信仰の決断が見えます。
失う時には失うのだという言葉には、決断、覚悟と同時に、ヨセフを失ったという悲しみがにじみ出ています。
しかし、主はあわれみ深い方であり、ことばをもって私たちを導いてくださる方です。
「もう一人の兄弟」とは、父はシメオンのことを指して語っていますが、失ったと思っていたもう一人の兄弟であるヨセフが、父の手に再び渡されることを象徴しているのだと受け止めました。
もちろん、父イスラエルにはそのような意図もなければ、願いもなかったでしょう。
しかし、全能の神は、信じて委ねる者には、想像を遙かに超えた恵みをその全能の力で与えてくださるのです。
私たちは有る意味で、とても無力です。
しかし、信仰が与えられています。
信仰は無力な私に働きかけて、神のあわれみを味わうようにしてくれるのです。
失うときには失う、しかし、主の恵みは失われません。
シャローム