「神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤをおおった。彼は民よりも高いところに立って、彼らに言った。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ主の命令を破り、繁栄を逃がすのか。』あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」」 歴代誌 第二 24章20節
ヨアシュ王は、祭司エホヤダが生きており教え導いていた時には、主だけを信じて良い行いをしました。
しかし、エホヤダが亡くなった後、王の周りにいる人たちの意見に惑わされて、主の前に罪を重ねるようになります。
そして、祭司エホヤダと主に従おうとする王ヨアシュに導かれていた時と変わって、民もまた罪を重ねます。
主だけに従う良い指導者、教師がいる時には、皆んなも主によく従います。しかし、よき指導者、導き手がいなくなると、人は簡単に信仰の道から外れてしまう弱さをもっています。
罪を行ってしまうのは、究極には主を捨てることなのです。
ここで祭司ゼカリヤは指摘します。
そして、主を捨てることは、自分から繁栄を逃すことです。
そして、主を捨てる者は、主に捨てられてしまうのです。
あわれみ深い主に見捨てられてしまうのは、その前に私たちが罪を重ね、主を捨てているのです。
自ら、捨てられることを望み、繁栄を捨ててしまう愚かな者にはなりたくないものです。
シャローム