「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」ヘブル人への手紙 10章20節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。

今日開いたのは、ヘブル人への手紙です。

この手紙の著者は分かっていません。パウロやシラスなどの名前が上がっていますが、どれも決定するには足りないのです。
65〜69年ごろに書かれたと考えられます。
大きな特徴は二つあります。
一つは、ユダヤ教とキリスト教の比較によって、キリストによってなされた業が優れていることを示します。
もう一つは、11章でアブラハムなど多くの旧約聖書の人物の名前が上げられて信仰の姿を示すことです。

ここ20節に示されるのは、旧約聖書の律法を守ることでは実現できなかった救いがイエス様の十字架の贖いの業によって、新しく開かれたことを示します。
肉体という垂れ幕というのは、主の宮の中で、聖所との間に掛けられていた垂れ幕を象徴的に示しています。
垂れ幕で仕切られた聖所には祭司しか入ることができませんでした。
そしてその中で行われるのはいけにえをささげることを中心とした儀式です。それを毎年繰り返しておこないます。
そうしなければ意味がないからです。

しかし今、キリスト・イエスがご自分の命を十字架の上で、私たちの罪を贖うための犠牲のいけにえとしてささげられました。
これによって儀式ではなく、このイエスを信じることで罪が赦されるという道が開かれたのです。
儀式ではなく信仰で道が開かれました。
行ないではなく信仰で救いを受け取るのです。

垂れ幕は入り口にかけられています。垂れ幕を避けて、中に入ることはできません。
垂れ幕はその先にある道を示すのだと言えます。そこを真っ直ぐに進めば、間違いなく入ることができるのです。
イエス様を真っ直ぐに見て、そこを通ることを覚えます。
引用されている旧約聖書の信仰者も、それぞれ示された道を真っ直ぐに進んで逸れることがありませんでした。
私たちは今、みことばが与えられています。それを聞き、真っ直ぐに進みましょう。
シャローム