「カレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちと、民のすべては、「ユダの地にとどまれ」という主の御声に聞き従わなかった。」エレミヤ書 43章4節

2節に「〜そこに寄留してはならない、と言わせるために、あなたを遣わしたのではない」とあります。
これは民の罪です。
民は、主がすべてのことばをもって、エレミヤに語らせ、エジプトへ行って寄留するなと命じたことばを、そのようには主は語らせていないと、エレミヤを否定し、主のことばを退けました。
民と高官、すべての人が、自分の思い通りのことばが欲しいだけなのです。
主のことばを聞く姿勢がありません。

いいえ。聞きたくないのです。
とどまれとは、主のことばにとどまれと言う意味もあります。
彼らはとどまる代わりに、揺れ動き流され、何の確証も力もない自分たち自身の言葉を頼りとして、滅びを選んだのです。

聞きたくないと感じる主のことばがあるならば、そこに私の罪が隠れています。
それらを注ぎ出し、主のことばに従う時、私たちは主の赦しと回復、前よりも豊かな恵みを受け取ることができます。

主の御声を聞くことができる喜び、それに聞き従う喜びを自分のものにいつもしていたいのです。

シャローム