「そのうえで、この箇所で、「彼らは決して、わたしの安息に入れない」と言われたからです。」ヘブル人への手紙 4章5節

この箇所とは「詩篇95篇11節」です。
詩篇では「わたしは怒りをもって誓った」と、ありますから、ヘブル人の手紙より厳しい表現であると言えます。
主が、創造のわざを七日目に休まれたように、私たちにも完全な安息が、主によって備えられているのです。
しかし、主のわざを目撃し、主のことばを聞いたはずの人が、主を信じて従わないのならば、その人からは安息は取り上げられ、もはや決して入ることはできないのです。

安息は備えられています。
それはその日まで、励むべき信仰の道が私たちにはあるということです。
主のことばに従順な人。
主の与えてくださるという安息に期待する人。
そのために、走るべき道を堅く保って進む人。
そのような人となって、必ず主イエスにその日、お会いしましょう。

決して入れないという人がいるのは、必ず入るべき人があることも確かなのです。
期待し楽しみに、ともに歩みましょう。

シャローム