「すると、そこに立っていた何人かが言った。「子ろばをほどいたりして、どうするのか。」」マルコの福音書 11章5節
今朝は、このつながれている子ろばがほどかれていく出来事を象徴的な出来事として捉えて味わっていきたい。
イエス様がエルサレムの町へ正式に入城するときに乗るために子ろばを求められました。
立派な馬ではなく、人々に担がれるのでもなく、静かにそして背も低い子ろばに乗って入城します。
それはイエス様の謙遜さと平和の君としての姿を示すものです。
そのために子ろばが必要でした。
この子ろばはつながれていました。
それはまるで罪につながれている私たちの姿のようです。
子ろばが必要です。
その子ろばは、つながれていたところから「ほどかれ」なければなりません。
ただ、子ろばを必要とするのでなく、子ろばがほどかれて必要とされます。
ころばは、当時重要な家畜ではありませんでした。ここにいる何人かは、子ろばなどどう使うのだと聞くのではなく、ほどくことを不思議に思いました。
でも、ほどかれなければなりませんでした。
罪が赦され、罪の鎖からほどかれた私たちは、主イエスに用いられる小さな器になります。
小さいけれど大切な器に、ほどかれて変えられるのです。
「主がお入りようなのです」と、あなたにも声がかけられています。
既にほどかれたあなたは、主の愛する有益な小さな大切な器です。愛する一人です。
シャローム