「ルベン族、ガド族、マナセの半部族はカナンの地のヨルダン川の流域まで来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは遠くから見えるほど大きな祭壇であった。」ヨシュア記 22章10節

ヨルダン川の流域に相続地を求めた「ルベン族、ガド族、マナセの半部族」は、そこに来たとき、一つの祭壇を築きました。
しかもそれはとても大きな祭壇でした。
この行為が他の部族の疑念を生みます。
彼らが、自分たちの力を誇り、主ではない神々をその祭壇で拝み始めたという疑念です。

他の部族は代表を送り、彼らと対話、対決をします。
ルベン族たちは、この祭壇は主だけをあがめるものであり、他の神々を拝んだりしない。
また、自分たちの子孫が、他の部族から遠く離れた地域に住んでいても、同じ主を信じて従う12部族として一つなのだということを象徴するものなのだと説明をします。
他の部族は、この説明に納得して、対決が戦いに進むことはありませんでした。
しかし、確かに彼らの行為は、一つ間違えば大きな罪を犯すことになります。

主の祭壇は、主のためにあるのです。
イスラエルの子が自分のために祭壇を築き、自分の思い通りに礼拝をするためのものではないのです。
主の愛と恵みを覚え、全能で全地を治められる主に従うことを示すために礼拝を献げる場所です。
人の力を誇ったり、自分勝手に神をあがめるような場所ではないのです。
主の栄光だけがほめたたえられていく場所です。

祭壇に中心は主であり、祭壇は主を礼拝するためにあります。
主が、そのために私たちに与えてくださった恵みの場所です。
私たちは、祭壇で礼拝を献げる特権に与った者なのです。

シャローム