「王がへりくだったとき、主の怒りは彼を離れ、主は徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったのである。」歴代誌 第2 12章12節 (2017新改訳)

南ユダの王であるレハブアムは、王位が確立し、強くなった時。主の律法を捨ててしまったのです。
そして民も同じように、律法を捨ててしまいます。
主は、その時、エジプトの王が攻め上ってくるのを許されます。
レハブアム王と民が、主を裏切っていたからです。

8節で、主は語られます。主に仕えることと、諸国の王である人に仕えることの違いを知るために、エルサレムはエジプトのしもべになるのだと。
その違いとはなんでしょう。
この12章から分かることは二つあります。

1つは9節です。
エジプトの王は、エルサレムの財宝をことごとく奪い取っていきました。
主は与え、恵みを注ぐ方です。
エルサレムにあった財宝は、すべて主がダビデ、ソロモンを通して与えてくださったものです。
いえそれどころか、エルサレムに住むことがそもそも主の恵みが与えられていることでした。
しかし、諸国の王は違います。彼らは、力によって奪う者です。
恵みを与える方と、奪う者の決定的な違いがあります。

2つはこの12節です。
レハブアム王と民が、エジプトに攻められた時に、自分たちの罪に気がつき、悔い改めます。
すると主は、さばきの御手を緩めて、赦しを与えます。
財宝も奪われて苦しめられますが、徹底的に滅ぼされることはなくなったのです。
ユダは罪を犯しましたが、悔い改めたことを、主は良いこととして、受け取ってくださったのです。
主は、あわれみ深く情け深い方なのです。
悔い改める者には、赦しと恵みを与えてくださる。

私たちは、この方のことばに従い、恵みとあわれみの中に生きていることを喜び感謝したい。
シャローム