「実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は、投獄されるようなことは何もしていません。」 創世記40章15節
牢獄で出会った献酌官長の夢を解き明かすヨセフです。
牢獄では、誰にも夢のことを尋ねることができないと嘆く献酌官長に、ヨセフは解き明かしは、神のなさることですと、語りかけた上で、献酌官長の夢を解き明かすのです。
解き明かしの内容によれば、献酌官長は3三日後に解放されて元の地位に戻されるのです。
それを伝えた後で、ヨセフは自分のことも思い出して助けて欲しいと願います。
そして、自分のことを語ります。
ここでヨセフは「兄に奴隷として売られたこと」「主人の妻の偽証によって投獄されたこと」を正確に告げません。
自分の現状だけを最低限伝えるのです。
人を憎んだり非難しないヨセフの姿があります。
信仰の姿です。主だけを信じる姿です。
もしここで本当のことをすべて話していたら、ヨセフが王様に用いられた時、主人だったポティファルは、罪に問われたかも知れません。
兄たちも、エジプト人に憎まれたかも知れません。
ヨセフの謙遜な姿が、この後も、争いや憎しみを省き、平安にヨセフが歩めるのです。
主を信じて歩むこと。
口を開く時には、非難や攻撃的な言葉を避け、憎しみではなく赦しと寛容な心で言葉を発したいものです。
シャローム