「しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。」マルコの福音書 9章27節

悪い霊につかれた息子を助けて欲しいと、父親は願いました。
弟子たちにはそれはできませんでした。
父親は、イエス様にお願いをするのです。
「おできになるなら」と、お願いしますが、イエスは「できるなら」と、求めるのは間違った信仰であると教えます。
そして「不信仰な私をお助けください」との告白を引き出すのです。
それからイエスは霊を追い出します。
その時、死んだように動かなくなった息子を、イエスは手を取って起されるのです。

イエス様は不信仰だと、突き放す方ではありません。
そして、癒してくださる時でも、遠くから癒しましたよと、放っておくような方でもありません。
手を取り起してくださる。

いつでも、イエス様の方から私たちに近づき、手を取ってくださる。
私が弱り果てて、イエス様の手を伸ばすこともできない時でも、イエス様は近づいて来てくださり手を取ってくださる。
見捨てることなく、愛してくださる。
弱り果てたところから、イエス様が立ち上がらせてくださる。
私の手は、イエス様が取ってくださるので、握り返して応答するだけです。
私たちは立ち上がることができる。イエス様がいてくださるから。

シャローム