「ファラオは答えた。「主とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。私は主を知らない。イスラエルは去らせない。」出エジプト記 5章2節 (2017新改訳)

モーセが兄のアロンとともにファラオに会い、イスラエルを解放して主を礼拝させるようにとの主のことばを伝えますが、ファラオは拒みます。
ここで心が留まったのはこのことばです。
「私は主を知らない」

ファラオは、エジプトと言う当時の最強の国の王様なのです。
すべての人がファラオの言うことを聞きます。ファラオを恐れます。
そのファラオが、主のことばに従って、自分の国の奴隷であるイスラエル人を解放すると言うことなど、したくないのです。

なによりもファラオがしたくないのは、王である自分が他の人(神様なのですが)の言うことを聞かなければならないことが嫌なのです。
知らないとは、知りたくもないというファラオの心の言葉です。
自分が一番です。王様です。
主を一番の位置に置くことなど、したくないのです。

主の声など聞きたくないのです。
何者だ、知らない、去らせない。
これは頑なで高慢なファラオの心を表す言葉です。
三重の繰り返しによる否定、拒絶です。
私たちの心には、この主は知らない、知りたくない、主のことばに従いたくないという、頑なな心があります。
気をつけたい。

主を知ることは、私の人生が豊かで幸いな日々となるための一番大切で最初にするべきことなのです。
私は主を知っている。主は私のことを知っていてくださる。
これが私の幸いですと、告白する日々を送りたい。
シャローム