「しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。」ピレモンへの手紙 14節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ピレモンへの手紙です。
とても短い手紙です。しかし、深い深い愛の手紙です。
この手紙もパウロがローマの読中で書きました。
手紙の中で「このとおり年老いた」と、パウロは自分のことを言っていますが、パウロ晩年の手紙です。
年老いた身で、命令ではなく懇願するのですと、パウロは、ピレモンの元を逃げ出して今、パウロの元でキリストを信じた者となったオネシモについて記します。
オネシモは逃亡奴隷です。
主人のところから逃げ出した奴隷には、厳しい罰が待っているのが、当時の制度です。
パウロは、奴隷制度との対決を記すわけではありませんが、ピレモンへのお願いを通して、主人と奴隷から、キリストにある兄弟への関係の変化を望んでいます。
この手紙には、いくつかのキリストを信じて人の関係を示すことばがあり、興味深いです。
イエスの囚人、1節。
兄弟、1節。
同労者、1節。
姉妹、2節。
戦友、2節、
獄中で生んだわが子、10節。
役に立つ者、11節。
イエス・キリストを信じて集う者は、兄弟であり姉妹。教会は神の家族です。
そしてイエス様の福音を伝え、愛を現す者として、ともに生きる同労者です。
福音を伝えるための喜びと苦労を、分かち合う同労者です。
そしてそれはお互いに、主の前に在って、役に立つ者なのです。
ピレモンにとって、当時の奴隷制度の中にあって、自分の奴隷であったオネシモは、11節によれば「役に立たない者」でした。しかし、互いにキリストを信じる者となった時、オネシモはピレモンにとって「役に立つ者」となったのだと、パウロは言います。
パウロは、オネシモの罪(多分、主人のお金か財産を盗んで逃亡した)を許して、解放してくれることを願っています。
互いに愛し合うことを、聖書は命じます。しかし、それは強いられてすることではなく、罪の赦しを知り、キリストを愛する人の、自発的な行為なのです。
キリスト・イエスの生き方に倣うキリスト者の自発的な行ないを、パウロは見たいのです。
奴隷から解放して、ピレモンの所有物ではなくなった方が、役に立つとは、まったく価値観が逆転します。
これこそ福音の価値観です。
キリストを信じて新しい人となったオネシモは「獄中で生れた」人です。
オネシモも私たちも、イエス様の前に、役に立つ者に新しく生れたのです。
それはイエス様に愛されている者になっていることです。それをまた知って、喜んでいる人です。
その人の日々は、役に立つ価値がある毎日です。
シャローム