「彼のしたことは主の目に悪しきことであったので、主は彼も殺された。」 創世記38章10節
7節にも「主の目に悪しき者であったので、主は彼を殺された」と、あります。
ユダの二人の息子が、相次いで主に殺されるのです。
聖書は、その理由を「悪しき者」「悪しきこと」と、説明します。
別の翻訳では「主を怒らせた」とも翻訳されます。
悪しきことが何であったのかをここでは具体的に指し示しません。
何をもって悪しき者だと評価されているのかも記しません。
ただ、その悪しきことによって、主の怒りが二人の息子に臨み、二人は人の手ではなく、主の手によって殺されたのです。
主のことばに聞き従わなかった、主を愛するのではなく偶像の神々を慕った、罪を悔い改めることがなかった。
そのようなことが日々、積み重なったのでしょう。
主の赦しを得るのではなく、主の怒りによって死ぬという罪の大きさ深さを覚えます。
父ユダも、この後、罪を重ねます。
38章には、主を礼拝する様子や祈る姿がありません。
私たちが主を礼拝することを後回しにし、祈ることを忘れた時、それは悪しきことにもっとも近づく時です。
そして、主のあわれみと赦しではなく、主の怒りを引き出してしまいます。
気をつけたい。
主の心の奥底から、あわれみと赦しを引き出すような生き方と、祈りを自分のものにしたい。
シャローム