「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。」ピレモンへの手紙 10節
手紙の冒頭からパウロは自分のことを「キリスト・イエスの囚人」と呼びます。
イエスを伝えたことで捕らえられ投獄されてもなお、パウロはキリスト・イエスを信じている使徒であることを誇るのです。
牢獄にいることと、イエスと自分を切り離すことは決してできないと「囚人」と自負するのです。
イエス様の愛に捕らえられ、イエス様を愛するパウロです。
牢獄で、ピレモンのところから逃げ出した逃亡奴隷のオネシモがイエスを信じたことを喜び、わが子と呼びます。
牢獄でもパウロはキリストの愛を伝えています。牢獄もパウロにとっては苦しい場所ではなく、宣教と愛を伝える場所です。
そして、オネシモが逃亡したときの負債をパウロが負うので、オネシモを愛する兄弟として迎えるように、主人であったピレモンに願うのです。
牢獄の中にいても、神殿で語っていても、いつもパウロはイエス様を愛し、イエス様に倣って、人々を愛します。
それが逃亡奴隷であっても、パウロは語り、イエス様の恵みを伝えるのです。
自分にとって心地よい相手を愛するのではなく、愛がない相手を愛して、キリストの愛で新しく生まれ変わらせるのです。
そしてそこからまた、キリストの愛が広がります。
牢獄や鎖では、キリストの愛を縛りつけることはできないのです。
シャローム