「民はモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ」と言った。モーセは彼らに「あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか」と言った。」出エジプト記 17章2節 (2017新改訳)
荒野の旅が始まっています。荒野を歩くのです。水がなければ歩くこともできません。生活できません。
水が必要だ、飲む水が欲しいとの、民の要求は無茶苦茶なことを言っているのではないと、聞こえます。
しかし、3節の内容を読むと、そうではないことが分かります。
エジプトでの奴隷の状態から救い出されたことへの感謝や喜びがまったくないのです。
民は、足りないこと、足りない物への不平不満は、口にするのです。
要は文句ばかりです。
しかし感謝はないのです。
もし本当に水がなくて、大変な状況であるならば、素直に主に祈り求めるだけです。
祈り求めることもしないで、不平を口にし、主を試みるのです。
主に委ねないのです。
恵みを受け取るのは、当たり前でしょうか。そうではないはずです。
主は、ご自分のみ心のままに与えることができます。与えない、待たせることもできます。
私たちは、主に願い求めることが許されていると言う、その恵みを感謝して喜ぶべきです。
委ねる。
素直に祈り求める。
感謝の声を先取りして上げる。
これができる者でいたい。争う者にはなりません。
シャローム