「二番目のくじはシメオン、すなわち、シメオン部族の諸氏族に当たった。彼らの相続地はユダ族の相続地の中にあった。」ヨシュア記 19章1節

不思議な相続地をシメオン族は受け取ります。
9節には「ユダ族の割り当て地が彼らには広すぎたので〜」と、説明があります。
けれども、ここに主のご計画と恵みを覚えます。
創世記の49章には、ヤコブがエジプトで12人の息子たちに遺言というかたちで主のことばを伝えています。
そこにシメオンとレビはは暴虐の剣だから、彼らを引き裂き、イスラエルの中に散らそうという、ことばがあります。5〜7節。
レビは祭司の家系となって、相続地を持たずに各部族の中に生きるようになります。
シメオンがユダの中に入り込むのですが、創世記では、続く8節でユダが兄弟たちに称えられると、祝福のことばが与えられています。

散らされるシメオンと、たたえられるユダ。
この二つの部族の名前が、ここ相続地の割り当ての箇所で、もう一度出てくることに、主のご計画と、それでも主はシメオンを惜しんで滅ぼすのではなく、ユダの中に行かす道を与えておられるのだと、知りました。

主はいつも恵みを先行させて私たちにご計画を持たれているのだと思います。
散らされてもなお、恵みは与えられるのです。
私たちが、主のことばに従い通すなら、そのときに与えられる恵みはどれほど大きく素晴らしいものなのでしょう。
期待して、主のことばを聞きたいものです。

シャローム