「そして彼らに別れを告げると、祈るために山に向かわれた。」マルコの福音書 6章46節
群衆はいつもイエス様を探して、後について来ます。
それはまるで羊飼いのいない羊の群れのようだと、イエス様は群衆をあわれみ、恵みを与え、神の国のことを教えました。
しかし、群衆はいつまでもイエス様のことを追いかけるばかりで、自分から神を求めることをしません。
それは弟子たちも似たようなものでした。
イエス様は、湖の向こう岸でしたい働きがあるのです。
それなので、弟子たちを先に舟で向かわせます。それも無理やりにです。
弟子たちは、ただイエス様の近くに居たかったのです。
ですから、そんな弟子たちは湖の真ん中辺りで向かい風で悩まされてしまうと、もう手立てがありません。
祈ることすら忘れています。
いいえ。祈ることをしなければならないのに、その一番大切なことを忘れています。
しかし、神の御子であるイエス様は、祈られます。
弟子を送り出し、次の働きのための準備をするときには、まず最初に一人で祈るのです。
祈ってから、向こう岸へ行きます。新しい働きは祈ってから始めます。
それも片手間に祈るのではありません。
祈るために、場所と時を定めて祈ります。
行動は祈りという準備が整ってから、祈りで満たされてからします。
祈ることを忘れた弟子たちは、困難の中でおびえて叫ぶことしかできません。
私たちはおびえる前に、叫ぶ前に、祈ることをしたい。
私の心を祈りで満たしたいと願います。
今日も祈ってから動き始めたい。
シャローム