「しかし、私たちの救い主である神のいつくしみと人に対する愛が愛が現われたとき、」テトスの手紙 3章4節
「私たちの救い主」とのことばは、私たちが救われなければならない存在であることを示します。
足のつかない深い水の中で溺れているならば、私たちはそこから救い出されなければならないと分かります。
しかし、日々の生活をしているときに、私たちは自分が救われなければならないことを、なかなか知ることができません。
むしろそのままの生活で十分であると思っていました。
しかし、神は私に対して、あなたは救われなければ滅びるのだと教えてくださった。
それは神が私をいつくしみ、愛してくださったからでした。
ところが一つ前の3節を読むと私たちは「悪意と嫉みのうちに生活し、互いに憎み合う者」だと、示します。
素晴らしい人、愛があり善意と優しさの人ではなく、互いに憎み合うような私を神は愛してくださった。
そして滅びるのではなく、神の恵みを受け取り、神に愛され互いに愛し合う存在になるように、神がご自信を犠牲にして私を愛してくださった。
神のいつくしみと人に対する愛が愛が現われたとは、私が何者であるかではなく、神が私を愛してくださっていることを教えてくれます。
この神を信じて愛し合う者として歩み続けたい。
シャローム